高松町お囃子保存会

流 派  重松流
代表者  岡部 明彦
発 足  昭和45年
伝 来  福生市 奈賀町囃子連

 

昭和29年、立川通り(旧高松町大通り)の開通式に国立矢川の祭囃子を依頼し、それを見て高松町二丁目の東町会が道具を購入し、「仁羽」を始める。囃子連は昭和32年に発足する。その後、町会は世帯増加により三町会に分裂し、昭和45年に道具を借りて東友会という名称で活動を始めた。当時は国立市谷保から伝わった目黒流の祭囃子を行っていた。その後、昭和55年、福生市奈賀町より重松流の五曲を伝承するも、伝承者不足により一時休止となる。高松町自治連合会・青少年育成会・高松子供会などの協力を得て高松町お囃子保存会として現在まで続いている。諏訪神社例大祭では高松町自治連(九町会)の囃子連として、諏訪はやし連・あづま囃子連を訪れ交流をしている。小若クラブ(6月)・立川よいと祭り(10月)、熊野神社祭礼(8月)、諏訪神社例大祭(8月)、立川おはやし大会(11月)、高松会館・高松児童館におけるイベント各種に出演、演奏している。山車は平成5年に錦東会はやし連が使用していた山車を譲り受け、屋根を付けるなど改造し使用している。柴崎町三丁目の町会が所有していたもので長年使用されていなかった山車で、山車人形があったと伝えられている。平成元年より錦東会が使用していた。演奏可能な曲目は「仁羽」「囃子」「子守唄」「宮昇殿」「四丁目」。

■山車紹介
高松町お囃子保存会の山車は、平成5年に錦東会はやし連が使用していた山車を譲り受け屋根を付けるなど改造し使用しています。この山車は平成元年から平成5年まで錦東会はやし連が使用しましたが、平成元年以前は柴崎町三丁目の町会が所有し倉庫にしまわれ長年使われていませんでした。
江戸型の人形山車であり、昔は人形を乗せていたと思われますが、平成元年当時、既に人形は現存しておらず何の人形が乗っていたのかも今ではわかりません。